壱万吉の書き捨て小説集

日々生きる中で生まれた小説を書き捨てていく

自作短編小説 「青い宝石、青い海」part3

「おっと、坊主来い」

 男は大五郎の手を引くと、自分の傍らへと導いた。
すると間も置かず、炭の黒煙を吹かせた車両が轟音を撒き散らしながら過ぎ去っていく。
車中には高級そうな茶褐色の軍服を見事に着こなした初老の男がこちらに視線を移してニコリと微笑んだ。

「ありゃ陸軍のお偉いさんだな。戦争が終わって事後処理に走り回ってるんだろう、あの将校の命もずっと戦ってきた奴さんによって裁かれるんだから長くはないな」

 ふと宮城の方を見ると、先ほどの車によって離散している。突っ伏していた人達の目元には、痕はあれども涙はなかった。

「解散みたいだし、俺達も行くとするか。どこか心当たりはあるのか?」

「ここかなと思ってた。あとは家辺りくらいしか……」

「じゃあ行ってみるか、どこらへんなんだ」

「海の方……」

 戦前に比べれば随分と開けた。開けたというより、全て焼けてしまってほとんど瓦礫しか残ってない。
コンクリートで作られた重要な建物は爆弾で壊され、一般市民の家は焼夷弾ですべて燃やされてしまったのだ。

 しかしそれらの瓦礫は、かつて建物があったであろう部分に寄せられ、道はデコボコになりながらも何とか戦前の原型を保っている。

戦争が終わり、空襲の心配が無くなったことで東京へ降りてきた人々による復旧作業がすでに行われつつある証拠であった。

「みんなあぁやって明日のために泥臭く頑張ってる、生きるために必死だ」

 所々で家族との再会を喜ぶ集団がいる、恐らく空襲の前にあらかじめ集合場所を決めていたのだろう。大五郎たちは決めなかった、母親の足が悪いから一緒に逃げるしかないと考えていたから。

「そういや坊主、俺の名前は田畠浩二って言うんだがお前の名前はなんて言うんだ?」

「大五郎……、酒井大五郎」

「この辺で酒井といえば…武家の名門じゃないか、通りでその宝石も頷ける。大五郎ということは五男か?兄弟はどうしてる?」

「お父もお兄達もみんな戦争に行った、残ったのは僕とおっ母だけ」

 視界に溢れる情景から意識を逸らすように、矢継ぎ早に放たれる質問の矢に大五郎は聞かれるままに答えていく。

高等小学校を卒業する前の少年には、いくら強がったところで、自分自身の境遇をそう簡単に受け入れることが出来なかった。

「まぁ名家とはいえまだまだガキだな、坊主で十分だ」

 浩二と名乗った男は破顔一笑し、ケタケタと喉を鳴らしながら仰け反った。その大五郎の様子を見て言ったのか、それのもただ外見で判断したのかは定かでない。

だが、自分がまだ子供と言われたということだけは理解して大五郎は嘆息する。

「……しかし手掛かりがその指輪だけというのも厄介な話だな。よく見せてくれないか」

 男は要求するように左の掌を仰向けにして差し出したが、大五郎は指輪を手渡さずに丸環へ指を通して、男に見せるよう掲げた。

「これはアクアマリン……坊主の親父さんは海軍の軍人だったのか?」

「おっ父だけじゃなくお兄たちも海軍に入った。これはおっ父がくれたって大事にしてたやつ」

「坊主はまだガキだからわからんだろうが、これはなかなか高価なやつなんだぞ。さすがは名家って感じだな。それを今まで大事にしているとは、きっと父親も母親も素晴らしいお人なんだろう」

 家族のことを褒められてすこし、嬉しいという感情が顔付きに現れて頬を緩ませる。男はそれを見ると、まるで父親であるかのように大五郎の頭を二、三回くしゃくしゃに撫でた。

「たぶん……ここ」

 道を歩いて一時間ほど、家があるところまでたどり着いた。いや、広かったであろう敷地に燃えた木材が無造作に積み上がっているところを見れば、家があったと表現する方が正しい。しかしここは確かに大五郎が記憶する家の位置である。

 もう何も残っていないんだ。覚悟はしていたが、改めて主張されると流石に堪えてしまう。

「うーん、この様子だとどうなったかわからんなぁ。多分生きていたら今頃病院なり公民館なりに運ばれて治療を受けてるだろうが、一応探してみるか」

 男は門があったはずのところに横たわる真っ黒になった木材を乗り越え、建物の残骸を漁り始めた。

「おおっと、ここは坊主には些か危ないな。そこら辺を見てくれるか」

 同じように乗り越えようとした大五郎へ男の指示が飛ぶ。たしかに敷地内は尖った破片など危険なものが散在しており、第一この門跡も乗り越えるのは厳しそうだ。
大五郎は素直に従って辺りを探し始める。

「ほう……。なかなか……」

 男は一人でぶつぶつと独語しつつ手を動かす。だがその声はかなり小さいもので、少し距離が開いていた大五郎へ届くことはなかった。

 これもまた一時間ほどであろうか。
大五郎が門の周囲をくまなく探し終わったあたりで声をかけた。

「やっぱりいなさそうだ、人だっただろうモノもない。多分公民館かどこかだろうな。行ってみるか」

 辺りに転がっている破片を踏む音なのか、少し金属音を響かせながら男は門跡を乗り越える。どうやら地元民のようで、大五郎の案内をうけることなく公民館の方角へとそそくさと歩いていく。

 宮城と家しか思い当たる節がなかった大五郎は、小走りで後に続く。行くあてなく彷徨うよりかは数倍マシだろう。そう考えた。

「坊主、さっきも言ったけどな、その指輪はたった一つの手掛かりだ」

「うん」

「公民館に運ばれてると考えると、酷い火傷でお前でも判別がつかない。だからこそ、その指輪を見せて反応を確かめるんだ」

 大五郎は頷く。男の進める歩は、公民館が近付くにつれて大五郎に似合わせるようにゆっくりとなっていった。

「でもな、坊主みたいな子供が指輪を見せつけて歩き回ってみろ。絶対に邪なことを考える輩が力ずくにでも奪いに来るかもしれない。こんなご時世だからな」

 男は出会った時のように、顔をしわくちゃにしてニッコリと笑いかける。

「そんな大事な物奪われたらダメだ。しかも指輪は小さいものだから一回見失うともうわからない。そこでだ、俺に指輪預けてくれないか。坊主は外で待っていてくれれば俺が確かめてきてやるよ」

 大五郎は流石に即答しかねた。今の少年にとって指輪とは、まさに母親そのものであるといっても過言ではない。心の拠り所を人に渡すというのは並大抵なことではなった。

「大丈夫だ、俺はこれでも元特高警察だぞ。誰かに取られなんかしないさ。

 指輪を握りしめ、小さく震えていた大五郎の手を、男は両手で優しく包み込んだ。その肌の温かみに触れ、少年の震えは次第に収まっていく。硬直していた右手は力が抜けるように指輪を男の手のひらへと落とす。

「ちょっと待ってな」男はそう言い残すと、足早に公民館へと入っていった。